鬼才赤塚 2008年8月4日(月)

天声人语   2008-08-04 11:24   阅读15   评论0  
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 その悲報に、「シェー」が小さく出た。ギャグ漫画の神様、赤塚不二夫さんが72歳で亡くなった。ひょっとして、ご本人は「これでいいのだ!」であろうか。ここ10年、大病が重なり覚悟はしていたが、赤塚ギャグで育った世代としては万感の「シェー!」で送るしかない(噩耗传来,扼腕叹息。搞笑漫画之神赤塚不二夫逝世,享年72岁。说不定,他本人也觉得“这样真好”。近10年,虽然都意识到老爷子会有重病,但赤塚无厘头下成长起来的一代只有以百感交集的“哎”来哀悼他。)

 

▼最初の衝撃は「おそ松くん」だった。おフランス好きのイヤミ、おでんのチビ太、デカパンやハタ坊。ところ構わず出てくるおかしな脇役と、めちゃくちゃな展開に笑い転げた(最初的冲击是《阿松》。喜欢法国的板牙男、猛烈太郎(关东煮矮太郎)、天才傻瓜和红旗公子。不分场合出现的滑稽配角和荒唐的情节,令人捧腹。)

 

▼読み切りで売れ始めた赤塚さんに、「少年サンデー」が4週連載を注文したのは1962(昭和37)年。「どうせ4回じゃないか、思いっきり暴れて終わってやろうじゃないか」(自伝『これでいいのだ』)。この勢いに悪ガキたちは打ちのめされ、「おそ松くん」は連載5年を超す出世作となる(《少年星期日》向以一次刊完的短篇小说开始发售作品的赤塚约稿四周连载,是1962年(昭和37年)。“反正不就是4次嘛。那还不天马行空汪洋恣肆好好干它一次?”(自传《这样就好》)。借此机会,坏小子们被打垮,《阿松》成为了连载5年的成名作。)

 

▼それまでの漫画がのんびりした落語調なら、急テンポのドタバタ映画。ページを繰るたび、理屈抜きの笑いが飛び出した。そんな赤塚さんの世界は、論理や常識で動く世の中が一方にどんと構えていてこそ、輝いたように思う(此前的漫画是不紧不慢的单口相声的话,他的作品就是节奏明快的恶搞。每次翻页,无厘头的欢笑身不由己。这位赤塚的世界正因为伦理常识下运转的社会越来越自我封闭,才显出光彩。)

 

▼スピード感あふれるナンセンスは、60~70年代の日本の元気にも共鳴した。いま匹敵する才能がいても、漫画以上に不条理な現実に埋もれるか、よどんだ空気に浮いてしまうのではないか(充满速度感的荒诞引起60~70年代的日本精神的共鸣。就算现在有人能相匹敌,难道就不会被漫画之外的东西埋葬在不合理的现实中,而漂浮在停滞的空气中吗?)

 

▼映画監督の伊丹十三さんが赤塚さんのすごいところとして、「世の中の方が彼のマンガに似てくるもんネ」と核心に触れたのは33年前だ。壊れっぷりに拍車がかかる社会を残し、昭和を「線」で笑わせた鬼才が旅立った。(电影导演伊丹十三接触到赤塚最厉害的地方“社会中人很像他的漫画”的核心是在33年前。抛下向着绝境加速前进的社会,用“线条”来嘲弄昭和的鬼才,上路了。)

 

             ~~~天声人語·朝日新聞(www.asahi.com

 

不能创作,那就翻译。(鲁迅)

 

        キャラビズ

                    

 「キャラビズ研究」という聞き慣れない名の産学協同講座を今年から東大が始めた。キャラはキャラクター、ビズはビジネス。アニメの主人公や企業のマスコットなどのうち、あるものは人気を博し、あるものは無名のまま消える。その違いを究明するという。(名不见经传的“人物经济研究”产学合作讲座今年从东京大学开始。人物就是戏剧出场人物,经济就是商业。动漫的主人公企业的吉祥物之中,有的博得人气,有的无名消失。探究这些差异。)

 

▼この講座の公開シンポジウムで日本の「カワイイ文化」の海外展開が話題になった。アニメや原宿ファッションが人気という段階ではない。「有名デザイナーが海外資産家から自分専用キャラを特注された」「服を買い、ショーを見に自家用ジェットで資産家令嬢が来日。自国での開催を親にねだっているらしい」(这个讲座的公开座谈会上,大家提出日本的“可爱文化”的海外研讨。动漫原宿时尚还没到大受欢迎的程度。“海外资本家向名设计师订购专用角色”“为买衣服看演出,资本家的女儿乘坐私人飞机来到了日本。向父母央求在本国举办。”)

 

▼東大の先生やキャラビズ関係経営者の証言だ。例えば白い子猫のキャラクター「ハローキティ」は1974年、文具などにあしらうイラストとして誕生。現在は米欧、中東などでファッション雑貨として売られる。人気の子猫が異国で黙々と振りまく笑顔は資源高で流出著しい日本マネー還流にも一役買っている。(东京大学的老师人物经济经营者的证言。例如白猫形象“凯蒂猫(Hello Kitty)”1974年,是作为文具上装饰的插图而诞生的。现在,欧美中东等国将其当作时尚商品出售。人气小猫在异国默默绽开的笑脸对于日本经济的回流也助了一臂之力。)

 

▼「天才バカボン」などを生んだ漫画家の赤塚不二夫さんが亡くなった。漫画を筆頭にアニメ、ゲーム、カワイイ服にイラスト文具。登場した時点では大人が顔をしかめたものばかりだが、今や日本の顔になり、東大の先生らが魅力や経済効果を論じる。若き日の赤塚さんは想像したろうか。(创作《天才傻瓜》等的漫画家赤塚不二夫去世了。以漫画为首,动画,游戏,可爱服装,插画文具。在出现的时候大人都会双眉紧皱,但现在变成日本式的脸孔,东京大学的老师们谈论着魅力经济效果。年轻时的赤塚想到过吗。)

 

               ~~~春秋(8/4)  ·日経新聞(www.nikkei.co.jp

 

2008-8-4 11:21

 

成功的秘诀就是:每天坚持做一件以上正确的事情。

 

谁若弃世,他必定爱所有的人。因为他连他们的世界也不要了,于是他就开始觉察真正的人的本质是什么,这种本质无非是被人爱。(德·卡夫卡)

 

学如逆水行舟,不进则退。

若有恒,何必三更眠五更起;最无益,莫过一日曝十日寒。(明代·胡居仁)

 

勿以善小而不为,勿以恶小而为之。(三国·刘备)

静而日充者以壮,躁而日耗者以老。——《精神训》西汉·刘安

 

不学习的人将没有尊严。

 

人一生最宝贵的是生命,生命对于人只有一次。人的一生应该这样度过:当回首往事的时候,既不悔恨一事无成,也不羞耻于碌碌无为,因为:我全部的生命都已贡献给了人类最壮丽的事业——共产主义!(苏联·奥斯特洛夫斯基)

 

 

 

8月2日下午4点55分,20世纪的漫画巨匠——赤塚不二夫由于肺炎与世长辞,享年72岁。其笔下的「おそ松くん」,「天才バカボン」,「ひみつのアッコちゃん」等漫画深受日本人喜爱,是代表20世纪的漫画家之一。

    赤塚不二夫1935年出身在二战时的满洲国(我国东北)。和手冢治虫有着深厚的交情。1964年,「おそ松くん」获得小学館漫画賞;1972年「天才バカボン」获得文芸春秋漫画賞;1998年获得「紫綬褒章」,2005年,東京都青梅市设立了「青梅赤塚不二夫会館」。

    和手塚治虫、長谷川町子、藤子?F?不二雄、石ノ森章太郎等国民性漫画家的去世一样,赤塚不二夫的离世受到媒体的关注。第二天早晨,NHK电视台头条报道了赤塚不二夫的去世,日本电视台8点档的新闻花了近30分钟的时间,回顾了赤塚不二夫的人身和他的贡献。这事情无疑是震惊了日本,尤其是昭和时代的人们。

    他对漫画的最大贡献是开拓了「ギャグ漫画」(搞笑漫画,无厘头漫画〈joke manga〉)这新领域,「おそ松くん」和「天才バカボン」就是其代表作。『シェー!』和『これでいいのだ!』等漫画里面的语言风靡了日本,成为昭和时代的男女老少都知道的流行语。

    赤塚不二夫也是在「トキワ荘」修炼漫画的一员。那里培育出了手塚治虫,石ノ森章太郎等漫画的革命家。和他并肩作战的漫画家们十分哀叹地说:;“他是和手塚治虫并列的漫画的东西两位横岗,他的去世令人感觉昭和时代真正的结束了。不会再有漫画家超过他的笑话……现在想对他说一声‘您辛苦了’”

 

赤冢不二夫

开放分类: 漫画家

赤冢不二夫 Fujio Akatsuka

本名:赤冢藤雄

性别:男

生日:1935年9月14日

籍贯:中国承德市

血型:A型

星座:处女座

获奖:

1964年《阿松》获第10届小学馆漫画赏

1972年《天才傻瓜》获第18届文艺春秋漫画赏

1997年获日本漫画家协会文部大臣赏

代表作:

《阿松》

《天才傻瓜》

主要作品:

《神秘阿克》

《猛烈太郎》

《GAG GUERRILLA》

主要经历:

漫画家,赤冢制作社(FUJIO PRODUCTION)的董事长。出生于中国承德市,1945年日本战败回到日本奈良,在新泻县长大。1955年寺田HIROO、铃木伸一、TUNODA JIRO、石森章太郎等结成第二次新漫画党。1959年作品《NAMA》在杂志《漫画王》上一炮而红。1962年连载于周刊《少年SUNDAY》上的作品《阿松》扩大了其影响。1965年与古谷三敏,长谷邦夫,横山孝雄共同组成了“FUJIO PRODUCTION”,同年代表作《天才傻瓜》在周刊《少年MAGAZINE》上发表。

赤冢不二夫的人生信条是“人生即玩笑”,以简略造型演出无厘头的情节而令人爆笑不止。创新的语汇亦成流行语,动作创意亦成流行动作标志。他的作品大为轰动,赤冢不二夫也被称做“喜剧天皇”。

他频繁参与业界的活动,包括演出和写真集设计等很多方面。

后期致力于科普的发展,著有《航向浩瀚的宇宙》、《看漫画学围棋》 等书。

据武井俊树所著《关于赤冢不二夫!!》中的消息,2002年4月,67的赤冢不二夫因脑内出血而陷入了昏睡状态。

2008年8月2日,赤冢不二夫因病去世。

赤塚不二夫的《天才傻瓜精选集》

  「天才バカボン」誕生40周年を記念し、体裁が同じベスト本が2種、出版された。一つは講談社、一つは小学館。これは、「引き抜き事件」という「恩讐」を超えた企画なのだ。(アサヒ?コム編集部)

  为了纪念赤塚不二夫创作的人气漫画《天才傻瓜》诞生40周年,讲谈社和小学馆同时出版了两本装帧相同的优秀作品集。据说这次出版是两家出版社是为了摒弃前嫌而设计的。(朝日新闻网编辑部)

  17日発売の「天才バカボン THE BEST」。2冊並べるとパパとパパがケンカ。講談社版の帯では、本官さんが「『天才バカボン』窃盗罪でタイホする!小学館!!」と叫んでいるが、小学館版ではレレレのオジサンが「レレレのレ?」とトボけている。

  10月17日开始出售《天才傻瓜的精选集》。把两个版本的书放在一块就是一幅“爸爸和爸爸在吵架”的画面。讲谈社版的封带上画的是警察叫嚣着“以盗窃《天才傻瓜》的罪名逮捕小学馆!”,而小学馆版的封面则是清洁工爷爷装糊涂的说道“哎哎哎?”。

  というのもこんな経緯があったから。

  事情的经过是这样的。

  赤塚不二夫の「天才バカボン」は、67年に周刊少年マガジン(講談社)で連載が始まり、たちまち人気作に。しかしあろうことか、69年にライバル誌の週刊少年サンデー(小学館)に電撃移籍し、71年に講談社の「ぼくらマガジン」を経て古巣のマガジンに戻った。

  赤塚不二夫的《天才傻瓜》于1967年开始在讲谈社的漫画期刊《少年Magazine》上连载,很快成为畅销书。但到了1969年,却突然转到竞争对手小学馆的漫画期刊《少年SUNDAY》上进行连载。1971年开始又在讲谈社的《我们的Magazine》上连载,最后重新回到旧巢《少年Magazine》上连载。

  今回の「THE BEST」は、表紙でケンカしても裏では仲良く握手の2社共同企画。講談社版は、ウナギイヌなど数々の人気キャラクターの初登場作を収録。ちょっとHだったり有名マンガの「パクリ」だったりしたために単行本化されなかった話なども集めた。

  这次《天才傻瓜的精选集》的封面和底面是讲谈社和小学馆共同设计的。封面合成虽然是一幅争吵的画面,但底面合成的则是握手言和的画面。讲谈社版的精选集收录了鳗鱼狗狗等多个有名角色初次登场的作品。此外,还收集了由于种种原因没有以单行本的形式发行的作品。

  一方の小学館版は、サンデー掲載の全作を収録。絵の代わりに写真を使った、赤塚不二夫主演による写真コミックといった珍しい作品も掲載する。価格はともに1000円(税込み)。

  小学馆版的精选集则是收录了在《少年SUNDAY》上连载过的所有作品,还刊载了用赤塚不二夫表演的“爸爸”模仿秀照片取代原来图画的珍贵作品。两个出版社出版的精选集价格均为1000日元(含税)。

  併せて、69~71年に「週刊漫画サンデー」に連載された大人向けマンガ「天才バカボンのおやじ」が、竹書房から出版される。文庫版で全2巻。各680円(同)。

  同时,1969年至1971年在《周刊漫画SUNDAY》上连载的给大人看的漫画《天才傻瓜的爷爷》,由竹书房出版社出版。袖珍本全2卷,均为680日元。

  注释:

  H 是指 “成人漫画”

  「パクリ」:商品や手形などをだましとる。

赤塚不二夫简介:

赤冢不二夫 Fujio Akatsuka

性别:男

生日:1935年9月14日

血型:A

星座:处女座

出生地:中国承德

漫画家,FUJIO PRODUCTION(赤冢制作社)董事长。本名赤冢藤雄,出生于中国承德市,1945年日本战败后回到奈良,在新潟县长大。中学毕业后去东京工作并开始向漫画杂志投稿。1959年作品《NAMA》在杂志《漫画王》上一炮而红,1962年连载于周刊《少年SUNDAY》上的作品《阿松》更加扩大了他的影响。1965年赤冢不二夫与古谷三敏、长谷邦夫和横山孝雄三人共同组成了“FUJIO PRUDUCTION”,同年《天才傻瓜》在周刊《少年MAGAZINE》上发表。

赤冢不二夫生动的人物塑造和卓越的搞笑风格为他带来了大批的追随者,也使他成为一代大师。周刊《少年JUMP》上设有以他的名字命名的“赤冢赏”用以鼓励漫画新人。除漫画创作外,他还频繁参与业界活动,包括演出和写真集设计等诸多方面均有涉及。据武井俊树所著《关于赤塚不二夫!!》中的消息,2002年4月,67岁的赤冢不二夫因脑内出血而陷入了昏睡状态。

获奖:

1965年《阿松》获第10届小学馆漫画赏

1972年《天才傻瓜》获第18届文艺春秋漫画赏

1997年获日本漫画家协会文部大臣赏

代表作:《阿松》、《天才傻瓜》

主要作品:《神秘阿克》、《猛烈太郎》、《GAG GUERRILLA》等

 

※『おそ松くん』(おそまつくん)は、赤塚不二夫漫画である。『天才バカボン』以前に描かれた作品で、赤塚のギャグ漫画家としての確固たる人気を確立した作品である。「週刊少年サンデー」に1962年16号から1967年33号まで連載されていた他、「ボーイズライフ」(1966年4月号から12月号まで)や学年誌にも掲載され、実質1970年「別冊少年サンデー」10月号まで小学館の各雑誌で作品が発表され続けていた。なお、「少年サンデー増刊号」等で掲載されたスペシャル版では、チャップリン等の映画作品の翻案が多い。のち「週刊少年キング」の1972年5号に『新おそ松くん』として掲載され(『チビ太の金庫破り』リバイバル版)、同年13号から1973年53号まで再び『おそ松くん』の題名で連載した。

その後も小学館の学年誌での別冊付録として旧作が掲載されていたほか、テレビアニメ第2作目の放送に際し講談社の「コミックボンボン」で1987年11月号から1990年3月号まで掲載されていた。

また、1989年4月に発行された「週刊少年サンデー30周年記念増刊号」にて『あの有名キャラクターは、いま!?』のタイトルで連載開始当時から27年が過ぎたという設定で4ページの読み切り作品が掲載された。

第10回(昭和39年度)小学館漫画賞受賞。同名の連続テレビアニメ1966年1988年の2度製作されており、こちらも人気を博す。月曜ドラマランドフジテレビ)にて実写版も製作された。

六つ子

本作の主人公。苗字は松野。父、松造(まつぞう)と母、松代(まつよ)の息子。

·   おそ松(長男。リーダー格でケンカも一番強い。血液型はA型でピーマンが嫌い。名前はお粗末から来ている)

·   カラ松(次男。さっぱりしているが飽きっぽいのが難点。名前は唐松からきている)

·   チョロ松(三男。名前の通りすばしっこい。ワガママな性格でおそ松とペアで行動する事が多い。)

·   一松(いちまつ、「一」が付いているが四男。一番まじめで意志も強い。名前は市松模様からきている)

·   十四松(じゅうしまつ、五男。気が優しいが、その分気が弱い。結構、オイシイ役柄を得ている。名前は小鳥の十姉妹から来ている)

·   トド松(六男。のんびり屋、風呂が大嫌い。椴松から来ている。「とどのつまり」ということでもある)

基本設定では小学校5年生11歳。

容姿、服装は6人とも全く同じで、見分けるのは実質不可能。ただし、竹書房12巻収録の「三十年後のおそ松くん」という作品では、頭髪量などに個人差が発生していた。違いは以下の通り。

?おそ松→ちょび髭が生えた程度で、余り変わっていない。

?カラ松→バーコードの様な禿頭である。

?チョロ松→サザエさんの波平の様な禿頭である。

?一松→髪が少々なくなって、眼鏡をかけている。

?十四松→無精髭が生えている。

?トド松→ややイガグリ頭(?)っぽくなった。

また、アニメ第2作では四十年後で設定されており、チョロ松だけが変わり果てていた。

各人の性格、嗜好には上記の通り差があり、6人同時に行動することは意外に少ない。おそ松およびチョロ松は多くの場合ともに行動しており、トラブルメーカーとなる。この2人と他の4人、もしくはおそ松と他の5人の間の対立関係の存在をうかがわせる描写も多い。

最新版(コミックボンボン版)では必ず一人は転んで登場する。

姓は「松野」であるが、ごく初期には「山野」姓になっている作品もある。

原作やアニメ第2作では中盤頃から主役の座をイヤミ?チビ太に奪われ脇役に降格してしまった。

イヤミ

名前の通り、嫌味な男性。痩せ型で3枚の出っ歯と口髭、当時人気を博していたビートルズ式の長髪が特徴。話す際に語尾に「~ザンス」と付ける癖がある。一人称は「ミー」、二人称は「チミ」。手足を曲げながら「シェー」と叫ぶギャグは国民的な流行語となった。

外見で見ると年齢は推定30代半ばから後半。ほとんどの話では独身の設定でモテない場合が多い。

“井矢見”と表記されることもあるが、これは名字の漢字表記である。

職業や役割は様々。おそ松たちの学校の教師やお父さんの会社の同僚、時に上役、あらゆるインチキ商売、乞食。「チビ太の金庫やぶり」という作品ではチビ太を執拗に追跡する刑事として出演している。

フランス帰りを自称し、フランスの事を「おフランス」と呼ぶが、実際には渡仏経験は無いと思われ、フランス料理の食材エスカルゴを殻ごと食べてしまう場面や、教師役として出演した回で、フランス旅行帰りの生徒にフランスのことを習う場面などがある。少年キング版では「ミーはおフランスなんかにいちどもいったことがないざんす」と明言する回や、デカパンが発明した小型台風を飲み込み、自ら大型台風となってパリエッフェル塔に激突した回がある。

善人や弱者として登場することもあり、主役の浪人者を演じた時代劇『イヤミはひとり風の中』は、おそ松くんの物語の中でも屈指の名作とされる。(チャップリンの映画『街の灯』の翻案。)

アニメ第2作36話『正義の味方はつらいザンス』では、デッパーマンを演じていた。また、漫画では下積みの長かった俳優の設定で、漸く特撮テレビドラマ「デパーマン」の主演を勝ち取ったが、自宅のテレビが壊れ雄姿が見られずさんざんな目に遭う(少年キング版。曙出版の30巻)。

アニメ第2作76話『カメラの前でべろ~んザンス』ではカメラを見ると思わず顔面をべろーん!!したいしたい病、即(すなわ)ち【顔面ベロン病】にかかったことがある。

チビ太

六つ子たちのライバル。名前の通り身長は低いが、年齢は基本的に六つ子たちと同じで、上であることも少なくない。一本だけ毛を残し、二段になった禿頭(後に「すごい石頭」という設定ができる)に丸い大きな目(ただし黒目は小さい)が特徴。おでんが好物。生意気な性格で、「ケケッ」という、人を馬鹿にした笑い方をする。六つ子たちにこっぴどくいじめられても決してへこまず(逆にいじめる側になることもある)、大変しぶとい。動物や花を可愛がったり、惚れた子に一途に尽くすなど、純粋な面もある。親は設定されておらず、単独で登場。ネコカエルなどと同居していることが多い。登場する回の半分以上がイヤミとワンセットでの登場であるが、子供であるのでイヤミほど役割の自由度は持たない。悪徳医師イヤミの助手や乞食イヤミの子分になっていたり、逆にイヤミの敵役に回ることもある。

主役を演じた『チビ太の金庫破り』(オー?ヘンリーの小説『よみがえった改心』の翻案)は、作者自身が「おそ松くんの物語の中で一番のお気に入り」と明言している。

やはり傑作と評価の高い『下町のチビ太キッド』は、題名の通りチャップリンの映画『キッド』の翻案であるが、ストーリーは全くと言っていいほど異なる。それまでの「おそ松くん」にはチャップリンの役を演じられるキャラがおらず、故に演じるのは、この物語のみ登場のゲストキャラ。なお、このキャラは他の作品の主人公であるが、赤塚漫画では極めてマイナーなキャラで、事実上『下町のチビ太キッド』のみで記憶されている。

アニメ第2作36話『正義の味方はつらいザンス』では、おでん★チビッターXを演じたこともある。

松造

六つ子たちの父親。松野家だけにまつぞうという名前。推定37~40歳。漫画では当初、商店を経営していたが、その後はサラリーマン、平社員という設定。よくボーナスを落とす(1回は狂言であった。また六つ子の代わりに誘拐されたチビ太の身代金に払ったこともある)。意外にもイヤミより先に「シェー!」のポーズを取っている(竹書房の5巻)。物語の中では妻子に対する不満が多く、家族にないがしろにされて家をとびだしたことや、ヤクザのチビ太に頼ったこともある。中日ドラゴンズのファン。アニメ第2作69話の『魔法を使って若がえるザンス』で若返った松造は松吉と名乗った。

松代(まつよ)

松造の妻、六つ子の母。推定36~38歳(作中で「女学校出てから二十年」というセリフがあり、時代的に旧制女学校のことだと思われるので、その程度の年齢になる)。専業主婦だが、息子が六人もいるせいで毎日とても忙しい。性格は真面目で働き者だが、やや見栄張りでヒステリックなところがある。丸縁の眼鏡をかけており、極度の近眼である(裸眼では、目の前のゴリラやライオンが識別できないほど)。薄黄色の服とピンクのスカート。松造と同様に魔法で若返り、松代は松子と名乗った。

ハタ坊

こうもり傘の様な髪型で、頭に小さな日の丸の旗を立てている男児。基本的に幼児で、やや頭が悪い印象のキャラクター。話す際に語尾に「~だジョー」と付ける癖がある。同様の髪型で、やはり頭に旗を立てた家族(両親および妹)が登場することもある。せこせことした動作はバスター?キートンがモデルであるという。主役を演じた事は数える程しかないが、重要な脇役が非常に多く、チビ太の弟分、デカパンやダ?ヨーンの助手、イヤミに苛められる役等が多い。年齢は推定5歳。

一度だけ、『オメガのジョーを消せ』で、渋い復讐の鬼を演じている。

デカパン

二段になった禿頭の裾だけに頭髪が残り、鼻の下に髭を蓄えている壮年男性。肥満体に縦縞の大きなパンツ(名前の由来)のみを着用。そのパンツの中には様々なモノが収納されている。基本的に性格は温厚。動物好きで、犬、猫を多く飼っており「坊や」と呼んで可愛がっている。東北方言を模したと思われる言葉を話し、「ホエホエ」、「~だス」が口癖。イヤミ?チビ太?ハタ坊とは違って主役を演じることは無く、(おそらく恰幅の良さゆえ)大富豪役や会社重役、研究所所長役もしくは善良医師役が多い。六つ子のおじさん役、トト子、ハタ坊の父親役で出演したこともある。ただし、竹書房から出版されてる後期のおそ松くんでは、悪役を演じることが多い。

年齢は推定40代後半から50代前半。不思議と奥さんが登場した回がない。

太郎と言う息子がいる話があり、この息子はパンツの柄がピンクと白のしましまであった。

アニメ第2作58話では6軒の会社を経営しており、出加建設、出加重器、DEKAファイナンスの社長とホテルDEKAのオーナー、そして出加不動産とデカグループの会長を務めている。つまり、ホテルが3つにゴルフ場が二つに映画館が十個に八百屋が三軒もある。他にもパンツのデザイン会社も経営し、宝石店も営み、全財産90億円を持つ大富豪を演じたこともある。

ダ?ヨーン(のおじさん)

頭髪を真ん中から分け、垂れ目で異様に口が大きな(そのために食いしん坊の大食いとされているが、太ってはいない)壮年。下駄を愛用することが多い。とぼけていて、間の抜けた印象の強いキャラだが、西部劇では渋いシェリフも演じた。役柄は警官や商店主、またはイヤミに対する債権者役が多い。デカパン同様主役を演じる事は無いが、シェリフ役での副主人公は何度かあった。会話の語尾に「だよーん」と付ける癖がある。藤子不二雄Aの『マンガニカ』によると、つのだじろうの兄弟が、ガラスに顔を押し付けた時の顔がモデルとされている(藤子Aの『フータくん』に登場する「テツカブ」も同一人物がモデルであるという)。年齢は推定40代前半。

トト子

ヒロイン。六つ子たちのあこがれの美少女。名前が示すように、家は魚屋を営んでいる。性格は普段おとなしい割に気が強く、怒らせると強烈なパンチを食らわせるなど、相当に怖い。漫画の初期に出てくる兄は“ファイティング弱井”というリングネームのボクサー。

アニメ第2作では自己顕示欲が強い女の子に描かれており、家業に関する描写は現われない。

年齢は推定11歳。

ひみつのアッコちゃん』の主人公加賀美アツコに酷似。同一視されている。最新版には自ら「ひみつのアッコちゃん」と偽って無銭飲食を企てたが失敗に終わるエピソードがある。1989年に発行されたコミック本のあとがきで、似ていることを指摘された赤塚自身が「そんなわけないだろ」などと逆ギレ気味に反論している。

チカ子

メガネをかけた背の低い女子。トト子の友達役として登場することが多い。

陰口と告げ口と噂話が得意な嫌われ者であるが、何故かチビ太には惚れられている。年齢は推定11歳。

『ひみつのアッコちゃん』にも登場するが、アニメ第2作には登場しない。

本官さん(ほんかんさん)

天才バカボン』にも登場する、『目ん玉つながりのおまわりさん』(別の通称)。デビューは本作の漫画版。アニメ第2作でも途中まで出ていたが、その後は何事も無かったかのように下記の警官に変わった。年齢は推定30代中頃。

八頭勝三(やつがしら かつみ)

アニメ第2作で本官さんの代わりに転勤してきた無精ひげのおまわりさん。21話から警官役として登場し、23話で自己紹介をした。人形が好きで人形を『香(かおる)ちゃん』と呼んでおり、人形を持って『ねぇ、かおるちゃん』『そうよ、そうよ』などと、独り言を度々呟いて言っている。年齢は推定30代中頃。本来は『天才バカボン』などで描かれていた「オカマのカオルちゃん」というキャラクター。

レレレのおじさん

『天才バカボン』(アニメ天才バカボンの元祖?平成?レレレのを含む)とおそ松くんに登場してるホウキを掃くおじさん。道行く人に『お出かけレスか?』と言うレ調が口癖。天才バカボンに出演している時、着ている服の色は濃い黄色だが、おそ松くんに出演している時、着ている服装は同じく濃い緑色であり、おそ松くんに出演している時のおじさんの方が若干背が高い。漫画では主に少年キング版に、アニメ第2作では19話まで出演していた。年齢は推定60歳。

ニャロメ

赤塚作品(主に『もーれつア太郎』)でおなじみのキャラクターである。口癖は『ニャロメだニャロメー』で語尾は『にゃろめー』のよく喋る機関銃猫。魚が大好物でよく魚泥棒したりゴミ捨て場でゴミを漁る年齢は推定は3歳。

アニメ第2作の『おでんと初恋どちらがだいじ』ではニャロ子と言う彼女がいる。

ベシ

赤塚作品でおなじみのキャラクターである。語尾が『べし』の蛙、片目を閉じている事が多く、ケムンパスとは仲がいい。

アニメ第2作の『大富豪チビ太さまザンス! 』では8匹もおり、音楽を演奏していた。

漫画原作にはほとんど登場しない。

ケムンパス

赤塚作品でおなじみのキャラクターである。語尾は『やんす』の顔がでかい毛虫。イヤミが嫌っている。口癖は『ケムンパスでやんす』で、ベシとは仲がいい。

アニメ第2作の『おでんと初恋どちらがだいじ』ではケム子と言う彼女がいる。

漫画原作にはほとんど登場しない。

夜の犬

赤塚作品でおなじみのキャラクター、その名の通り夜だけ現れて前足一本で逆立ちをしているブルドッグ種。年齢は推定4歳。

ジャジャ子

ハタ坊のいとこと言う設定でチビ太が好意をもった子供。おでん嫌いであったがチビ太のおでん嫌いになる為の熱意にひかれおでんを食べてみたらおでん好きになった。家は赤塚台駅の隣にある隣の駅という100mも満たない先にある駅が最寄り駅ということになっている。アニメ第2作の一話にだけ出てきたが、本来は別の作品(『ジャジャ子ちゃん』)の主人公。

編集] 宇宙人(エイリアン)

アニメ第2作の14話?44話?85話と竹書房版の20巻に登場し、体は柔軟性でゴムの様に伸びる。44話では地球を撮影した宇宙人が去っていく時にフジサンケイグループCIマークを描いて帰っていった。

ナンマイダー

つながり目と眉毛が特徴、エイリアンのリーダー格。

ゴンベーダー

放射線状の髪の毛が特徴、人形焼でおそ松の型をとり、おそ松とチョロ松に化けたことがある。

ジンベーダー

カール状の髭がトレードマーク、人形焼でおそ松の型をとり、おそ松とチョロ松に化けたことがある。

アッカンベーダー

いつも舌を出しているひょうきん者

バブバブダー

その名の通り赤ん坊のような性格が特徴。

カレンダー

のマーク、名前はカレンダーであるがカレンダーではない。

シンジマッタダー

鼻に絆創膏を貼っている。

インベーダー

おそ松とチョロ松をさらってきたエイリアン、仲間紹介の後にコレデオシマイダーと言う。

チビ太

  • 同じ赤塚不二夫のギャグデビュー作とも言える『ナマちゃん』の脇役にチビ太とうり二つの乾物屋の息子?カン太郎が登場する。このカン太郎とチビ太は同一視されていて、『チビ太くん』『チビ太』の題で刊行された単行本にはカン太郎の名が登場する話がある。また『キツツキ貫太』もチビ太に似ており、チビ太キャラの原型とされる。
  • 手塚治虫と同様にスターシステムを採る赤塚は、チビ太も『おそ松くん』の他に『天才バカボン』『ひみつのアッコちゃん』『もーれつア太郎』等に出演していた。
  • 竹書房から出版されているおそ松くんの22巻の最後では、『オハゲのKK(ケケ)太郎』という題でオバケのQ太郎との共演を果たした。1966年の週刊少年サンデー7号に掲載された、藤子不二雄藤子?F?不二雄)との合作作品である。ちなみにQ太郎はこれまでにも度々出てきたのだが、喋ったのはこの巻が最初で最後であった。
  • 『平成天才バカボン』でも彼に似た九官鳥が登場したことがある。彼本人も登場した。
  • 主役を演じた『チビ太の金庫やぶり』(オー?ヘンリーの小説『よみがえった改心』の翻案)は、作者自身がおそ松くんの最高傑作に選んでいる。
  • 中部地区を中心として展開しているコンビニサークルKのCMに出演したこともあり、いまではサークルKサンクスでのおでんのキャラクターにもなっている。これは、冬のおでん企画として「チビ太のおでん」を登場させたもの。上から三角丸四角の順に串に刺さった練り物となっている。ただし、本物のチビ太が持っているおでんは上からこんにゃく、がんもどき、ちくわであることを赤塚不二夫本人がTBSテレビのテレビ番組「素敵な気分De!」で公表している。ちなみに、ちくわの部分についてはなると巻の説もある。

    なお、チビ太のおでんが好評だったサークルKは「イヤミのおでん」「イヤミのお好み焼き」も登場させている。

  • ゴジラの息子として知られるミニラはチビ太がモデルという説がある。

編集] イヤミ

  • コメディアントニー谷がモデルになったとされているが、作者の駆け出し時代の担当編集者?週刊少年サンデーの樺島記者がモデルであったという説もある。トニー谷の外見は、雰囲気と服装以外イヤミとは似ていないので、少なくとも容姿のモデルは彼ではない。言動はトニー谷、容姿は樺島記者がモデルと見るのが妥当か。(「シェー!」のギャグは、樺島記者が驚いた時が基だったという説がある。)
  • なお、フジテレビ系バラエティ番組『オレたちひょうきん族』でパロディードラマ(「ぴよ松くん」)が制作された際、イヤミ役の明石家さんまだけは付け髭のみのメイクだった。
  • 映画『怪獣大戦争』で、ゴジラがイヤミのシェーをしたことはあまりにも有名。ゴジラは劇中の2シーンにおいて、合計5回もシェーのポーズを行った。これは、同作の監督、本多猪四郎と特技監督の円谷英二のアイデアであったという。さらに、ゴジラ以下主演の宝田明ニック?アダムス沢井桂子がシェーをしているポスターも製作された。

    なお同時上映作品「エレキの若大将」では、田中邦衛演じる青大将がシェーをしている。

  • ビートルズが1966年6月に来日した折、滞在していた当時の東京ヒルトンホテル(現?キャピトル東急ホテル)のスイートルームにて、ジョン?レノンが当時のミュージック?ライフ編集長?星加ルミ子の勧めで、シェーのポーズをして写真に納まった。
  • シェーが流行るまでのエピソードとして、当時の作画スタッフ達の罰ゲームとして新宿御苑などにて人前でシェーをするというのがあった。(シェー定着後は当然やらなくなった。高井研一郎等の証言による。)
  • 『レレレの天才バカボン』にはタクシードライバーとして出演していたことがある。
  • 2000年12月31日に放送された日本テレビの特別番組『いけ年こい年世紀越えスペシャル2000-2001』で、「20世紀を代表するギャグ」としてシェーを2001連発するという、「2シェー1年 シェー2001発」という企画が行われた。この時、会場となったステージの上には、イヤミのパネルが置かれ、主宰の高田純次もイヤミのコスプレをしていた。

編集] ハタ坊

  • ハタ坊は、日本共産党の機関紙「赤旗」日曜版に連載していた漫画『ハタ坊』の主人公になっていた。その作品では、頭の旗は日の丸ではなく赤旗(モノクロ印刷のため灰色)であった。
  • 少年キングに掲載された『新おそ松くん』(「少年キング版?チビ太の金庫破り」)では、旗を売っているシーンがある。

編集] 六つ子の母親

  • 『おそ松くん』に先立って週刊少年マガジンに1961年に連載された『キツツキ貫太』の母親、また1963年から月刊「少年」に連載された『まかせて長太』の母親に酷似している。また赤塚が自身の少年時代を回顧する作品での実母がこの顔で描かれる。

編集] 六つ子

  • 六つ子は当初12人の予定であったが、コマに収まりきれないために6人になったとの事。
  • 赤塚は六つ子の作画についてはあらかじめ顔を大量にコピー機にて複写し、登場の都度顔をコマに貼り付けていた。

編集] 作品全般

  • 赤塚のアシスタントを長年勤めた北見けんいちによれば、イヤミやデカパン等のキャラクターデザインは、当時赤塚のチーフアシスタントであった高井研一郎が手掛けていたとの事。
  • 映画『喜劇 駅前漫画』には、主人公の描く漫画がおそ松くんのキャラクターが使われている。又六つ子の様な服装をしている子役が出てくる。『オバケのQ太郎』もアニメと着ぐるみでゲスト出演した。
  • 『オバケのQ太郎』との共演については、チビ太の項で触れた「オハゲのKK太郎」(藤子不二雄との合作)の他に、1966年に週刊少年サンデー新年増刊号の特別読切作品として描かれた『ギャハハ西遊記』がある。この作品は赤塚不二夫、藤子不二雄、つのだじろうの合作によるもので、『おそ松くん』『オバケのQ太郎』『ブラック団』のキャラクターが一堂に会して繰り広げるドタバタギャグマンガであった。
  • 小学館の学年誌に掲載されていた作品の一部は長谷邦夫古谷三敏の手によって描かれていた物がある。(赤塚名義ではなくそれぞれの名義で発表され、赤塚の名は「原作者」として明記されていた。)
  • 秋本治の『こちら葛飾区亀有公園前派出所』にて、主人公の両津勘吉が3333のおそ松を描いた黄金のロールス?ロイスが登場する話がある。尚、原作の両津は、赤塚マンガのキャラを描くのが上手という設定となっている。
  • アニメ第2作の次番組となった『平成天才バカボン』は、本作品の製作スタッフがほぼそのままスライドしたため、登場キャラクターの違う続編ともいえる。実際おそ松くんのキャラクターも時々出現しており、音楽についてはほぼ共用となったいた。さらには『平成-』終了後に特別編として1991年10月に『バカボンおそ松のカレーをたずねて三千里』という両作品のキャラクターが競演するアニメーションも製作された。
  • 週刊少年キングで連載が再開された『おそ松くん』は週刊少年サンデー版とは異なり、イヤミが延々と暴れまわる内容であった。下ネタ(主に放屁)や手抜き(被疑者のイヤミと本官さんの取り調べなどの設定で同じコマが延々と続く、暗闇の山小屋の設定で延々真っ黒のコマが続く等)が多用され、大抵イヤミが殺されて話が終わる等非常に荒れていた内容であった(ただし『レッツラゴン』で多用された楽屋オチや『天才バカボン』でも用いられた実験的手法は僅少だった)。このため、竹書房文庫版には掲載時の90話の中で14話しか収録されていない。
  • 週刊少年サンデー30周年記念増刊号に掲載された『あの有名キャラクターたちは、いま!?』では、チビ太以外の主要キャラ達は全員何らかの理由により、すでに死亡している事になっている。

 

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